「商船向けレーダー全世界シェア43%※」で、名実ともに世界トップメーカーであるフルノ。実は1990年代半ばまで商船市場では三流ブランドであり、なかなか本格的に入り込めないジレンマを抱えていた。その状況を打破できたのは、フレディ・ハンセン(以下、敬称略)の貪欲な姿勢の賜物と言えるだろう。保守的な商船市場で厚い壁がある中、フレディはどのように道を切り拓いたのか、ここにレジェンドたる所以が隠されている。
※2023年1月から12月に日・中・韓造船所での建造船(タンカー、バルクキャリア、ドライカーゴ)に搭載したレーダーの数より算出
あらゆる情報を貪欲に取り入れ、
商船市場で何をすべきか追求
創業から37年間一度も赤字を出していないフルノデンマーク(FDK)を、トップとして率いる秀でた経営者であるフレディは、実は大手IT会社のエンジニア出身である。デンマーク空軍として地対空ミサイルやレーダーシステムのメンテナンスに従事し、続いて外航船市場を手掛ける伝統メーカーRaytheon(レイシオン)で活躍した。舶用無線機器のサービスを提供するISR(FDKの前身)で、さらに専門技術の知識とグローバルビジネス案件の経験を蓄積。
売上が世界トップクラスの海運企業であるA.P.モラー・マースク(コペンハーゲン)をはじめとする欧州の多くの船舶会社との関係構築から強力な人脈を築いてきたフレディは、当時、フルノの商船市場での立ち位置を最も理解していた人物であり、商船市場を打開するために何をすべきかを察知していた。
フルノは当時、お家芸とも言える超音波技術を駆使した深度/速度計測システム、いわゆる音響測深機やドップラスピードログをはじめ、商船用レーダー開発も進むなど、個別での製品は充実してきていた。しかしながら、レーダーに指定された数種の海図を重畳させる技術の開発に課題を残していた。フレディは、これをクリアしなければ商船市場へのパッケージ提案ができず、本格的に参入できないと考えていた。
フレディは1980年にISR(その当時のフルノの代理店、FDKの前身)に転職し、1987年にISRの買収に伴いFDKの社長に任命された
1993年、海軍の船舶に通信機器を提供したフィンランドのNAVINTRA社(フルノフィンランドの前身 ナビントラ社)を知り、フレディは同社が独自開発を進める電子海図/プロッタシステムに関心を寄せた。これが後に本格的な商船市場参入を決定付けることになったフルノ統合ブリッジシステム(現在の統合航海システムINS)の中心を担うECDIS(エクディス)のベース技術となる。
90年代はフルノ本体が創業以降初めての赤字となった低迷期であり、既存の漁船市場の挽回に躍起になっている状況下で、大きく後れをとる商船事業の拡大には意欲的な有志者が少なかった。そんな中、フレディは公的機関であるIMO(国際海事機関)、CIRM(国際海上通信委員会)と積極的にコミュニケーションをとり、商船業界のルールと動向をいち早く詳細に調査していた。また、船長や造船所が望む製品の仕様を詳細に把握することで、自ら本社に、より的確な商船向け新製品開発を強く提案し続けた。フレディは、フルノの商船市場進出の足掛かりを築いたと言っても過言ではない。
元CMO小池よりひと言
あの時代に商船市場をしっかりと認識できている人は、フレディを除いて他にはいなかった。欧州での製品・システムの統合化が進んだ時代の動向をいち早く察知して行動を起こせたのはフレディがいたからだ。
専門的サポート体制をグローバルに展開
商船市場参入に不可欠である統合ブリッジシステム“VOYAGER”を開発したものの、「フルノは故障発生時にどの程度の対応力があるのか?」と顧客は半信半疑だった。商船市場では、各国で装備義務が掲げられており、義務装備品に問題があれば出港や入港が許されない。よって、全世界どこにいてもトラブルに対応できる体制が求められる。ISR時代から付き合いがあるA.P.モラー・マースクからも、“Not this time‚ perhaps later(次の機会にまた)”と断わられ続けていた。フルノに優れた製品やシステムがあるにも関わらず信頼を得られない辛さは、現場で指揮を執るフレディが人一倍感じていたことだろう。
フレディはその状況を変えるべく、フルノ商船事業の成長戦略の一つとして、世界的な販売・サービス支援体制を整える必要があると考え、FDKを起点に“VOYAGER”をサポートできる組織を構築した。本社直轄となるフルノ欧州支店(FURUNO EUROPEAN BRANCH OFFICE‚ FEBO)である。
左から3番目がフレディ、右から2番目は本川さん
全世界にいるフルノの商船チームをより活発に機能させるために、元航海士などを含めた専門集団を構築・育成し、全世界の顧客に向けた “VOYAGER”の販売支援を始めるとともに、修理用パーツの在庫をFEBOに集約・確保することで、欧州を発着する全世界の船舶を強力にサポートできる体制を整えた。さらにFEBOでは、ECDISをはじめとした認定トレーニングコースを開始。FEBOは既に役割を終えてクローズされたが、現在もFDKでトレーニングの受け入れを継続しており、海技学校生や海軍士官など、これまでに延べ14000人が受講している。これらの取り組みが、各船舶会社、造船所などからの信頼獲得につながった。地道な努力を重ねて、結果的に船主からメーカー指定を獲得できるようになり、商船市場にフルノの存在を知らしめた。
本川さんよりひと言
技術研究所ビジネスラボ室長
私がFDKに駐在していた1992年当時は、世界的に漁船市場向けの売上が低迷する市場環境で、FDKも同様の状況に直面していた。社長として、そして営業マンとして人一倍、売上=注文に貪欲だったフレディは、営業部門のオフィスに鐘を吊り下げて、注文が入ったらその鐘を鳴らす仕組みを作った。鐘が鳴ると、フレディは大きな身体を揺らしながら社長室を飛び出し、営業部門まで駆けつけて担当者を大いに労うとともに全身で喜びを表現し、そして他の社員にも刺激を与えていた。苦境を乗り越えるために社員を一つにまとめようとする彼の強い意志がよく分かるエピソードである。
和田CFOよりひと言
フレディは、デンマークだけでなく、FFOY(フルノフィンランド)、FSA(フルノスウェーデン)、FPZ(フルノポーランド)、FEO(フルノロシア・現閉鎖)の立ち上げを自ら行い、FDKの傘下にしてきた。また、アイスランド、ラトビア、リトアニアなど欧州各国を巡り、自ら率先してテリトリーを拡大していた。これが一度もFDKで赤字を出さない好業績を実現してきた豪腕たる所以であり、結果的にフルノの成長戦略、事業拡大に大きく貢献してくれたのだと考えている。





